2025/10/15
1 従来の第三の道は「機会の平等」などの妥協の産物であり、理論の裏付けがない
20世紀後半、「小さな政府か大きな政府か」という二項対立は、政治・経済の根幹的課題として長らく論じられてきた。
この対立を克服しようとしたのが、イギリスのトニー・ブレア政権および社会学者アンソニー・ギデンズによる「第三の道」である。彼らは自由市場の効率性を維持しつつ、国家の役割を「再分配」から「機会の創出」へと転換させ、福祉国家の持続可能性を模索した。市場原理と社会的公正を両立させようとするこの路線は、当時の社会民主主義に一定の現実主義をもたらしたと評価される。
しかし、その実態は合理的期待形成仮説(新自由主義の素)を欠いた中身のない新自由主義の延長線上にあり、国家は市場の調整者として後退した。格差是正の手段は、個々人の能力向上や教育機会の拡大という個人に責任を委ねられ、結果としても大した効果がなかったことで批判されている。これを人情的新自由主義と評価せざるを得ない。
2 自分の「新しい第三の道」と従来の「第三の道」との共通点と差異
私の掲げる「第三の道」とブレアの第三の道には、共通して「中庸」という志向がある。
それは、コンティンジェンシー理論が示すように、どのような環境下にも普遍的に最適な制度や思想は存在しないという認識に立つものであり、状況に応じた柔軟な均衡を求める姿勢に通じている。
しかし、両者の中庸はその性質を根本的に異にする。ブレア型の中庸は、左右の政治的立場の妥協による調整にすぎないのに対し、私の中庸は新自由主義の裁量的政策を無効とする合理的期待学派の理論に基づき、理論的な均衡を重視するものである。
私は、新自由主義の素となった「合理的期待形成仮説」を単なる抽象理論としてではなく、社会的・制度的作用としての「事実」として重視している。ブレアの第三の道は、サッチャー、小泉純一郎、竹中平蔵らが掲げた市場原理主義と同様に、「国家の縮小」と「個人の努力」を強調したが、その根底にあるはずの合理的期待形成仮説の理解が欠落している。
同仮説は、本来「人々が合理的であるならば、裁量的政策には持続的効果がない」という前提に立つものであり、必ずしも国家の役割を否定するものではない。むしろ、恒常的制度や規範が合理的期待を形成する限りにおいては、政策は恒久的に有効であり得る。ブレア型第三の道はこの点を軽視し、恒常的政策の意義を見失ったために、「市場や個人任せの機会の平等」というものである。
3 我が第三の道
私の「第三の道」は、マクロ経済学における合理的期待形成と恒常所得仮説を社会政策に応用した理論である。経済主体は将来の政策を予測し行動を修正するため、短期的な刺激策には恒久的な効果が生じにくい。これを「ルーカス批判」と呼ぶ。たとえば、政府が減税しても、その減税分は将来の増税として予期されるため、消費拡大ではなく貯蓄に回る。この現象を説明するのがリカードの等価定理(中立命題)である。

日本が「失われた30年」と呼ばれる期間において、1000兆円を超える財政支出超過を行いながらも景気浮揚効果が乏しかったのは、この合理的期待の作用による結果といえる。
実際、コロナ給付金10万円のうち約7割が貯蓄に向かったとの報告もあり、「リカード=バローの中立命題」が現実的に成立していることを裏付けている。したがって、格差是正や消費の安定化は、一時的な財政政策ではなく、恒常的な所得制度による構造的設計によって達成されるべきである。具体例として、失業保険の拡充や残業の制限(ワークシェアリング)など、所得の一時的変動を抑える政策が挙げられる。これにより生活基盤が安定し、たとえ失業しても所得の平準化を通じて消費の持続性が高まる。需要の安定は企業の長期投資を促し、同時に人手不足が労働市場を適正化し、自然な形で賃金格差の縮小を導く。恒常所得仮説の観点からすれば、一時所得の増減は消費変動に寄与しないため、残業抑制によって可処分所得が減少しても、消費水準は低下しない。
私の考える格差是正とは、「機会の平等」ではなく、制度的期待の均衡の結果として市場で実現されるべきものである。「失われた30年」と呼ばれた日本には、そのような恒久的制度が欠けていた。アメリカでは1970年代以降、スタグフレーションを引き起こした公共事業を否定的に捉える一方で、失業保険やフードスタンプ、中間層向けの恒久的減税を重視した。将来の財政負担を国民に転嫁した日本との違いはここにある。
要するに、私は新自由主義(合理的期待形成仮説)を逆手に取った社会主義者であるともい言える。合理的期待を前提としながら、恒常所得制度によって消費と生活を安定化させる——この合理的期待形成仮説を土台とした恒常制度の設計思想こそが、私の第三の道の核心である。
4 教育信仰の限界と(労働)市場による是正
ブレア型第三の道が掲げた「教育による格差是正」は、知識社会の理想として広く支持を集めた。
しかし現実には、教育水準の上昇がそのまま所得格差の縮小につながった成果はイギリスではほぼ確認できない。日本においても、大卒者が増加しても非正規雇用は拡大し続け、教育による格差是正は理念としては美しくとも、実態としては機能していない。さらに、大学無償化によって親の教育投資はむしろ過熱する。家庭は他者との差を埋めるために大学院進学へと投資を拡大し、結果として教育費全体が高騰する。これにより家庭の経済的負担は増大し、出生抑制が進み、少子化を加速させる。
一方で、学歴上昇と雇用安定との関係は必ずしも正比例しない。現在の労働市場においては、仮に院卒者が100%になったとしても、そのうち約4割は非正規雇用にとどまると推定される。つまり、教育は相対的な競争の順位を変えるだけであり、社会全体の不平等を解消するメカニズムとはなり得ない。したがって、格差是正の中心を教育に置くのではなく、労働市場そのものが自律的に格差を調整できる制度設計が重要である。
長期的な自由主義の観点ではこの限りではないものの、外国人労働者流入の拡大などはもってのほかだが、失業保険の拡充や残業の規制などを通じて人手不足を誘発し、賃金上昇による市場の適正化を図ることで、格差は市場の内部で是正される。教育による「機会の平等」ではなく、制度的に形成された「恒常的な所得の平等」によって、社会的安定を実現すべきである。
念のため、地域格差の観点からすれば、東京出身者は、地方出身の優秀な大卒者との競争上、劣後する構造にある。したがって、都民に限定した大学無償化政策は、一定の合理性を有すると考える。
よって、格差は制度によって予防され、市場によって自律的に調整されるべきである。
結語
ブレアの第三の道が「政治的妥協としての中庸」であったのに対し、私の第三の道は「新自由主義(合理的期待形成仮説)に基づく格差是正による消費拡大」を目的とする制度設計である。そこに左右の妥協はなく、重視すべきは人々が合理的に予測できる恒常的な制度の存在である。
この観点からすれば、効果の乏しい裁量的政策、たとえば、一時的な減税、一時的な公共事業、一時的な給付金らはいずれも否定される。さらに、恒久的であっても赤字国債による政策は、リカード=バローの中立命題(現在の国債発行は将来の増税を予期させ、消費を抑制する)によって理論的に無効化される。人々の期待がより合理的になっているから、繰り返された政策は効果を失う、この点、合理的期待形成学派(シカゴ学派)は「予期しない政策は有効になるが、予期出来る政策は無効」とする見解と一致するものである。
したがって、失業保険の拡充など限られた範囲の制度的支援を除けば、国家が裁量的に景気や格差を操作する余地はほとんど存在しない。
私の第三の道は「機会の平等」ではなく、合理的期待形成下における経済成長を目的とした効率的な資源分配である。すなわち、相対的に消費性向の高い層(低所得者層・中間層)への資本集中による恒常的な消費拡大を通じて、社会全体の成長を実現するものである。言い換えれば、私は「貧しいから助ける」のではなく、「成長に資するから分配する」のである。この合理主義的な格差の是正、それが、私の「新しい第三の道」の核心である。
マルクスの考えは単なる嫉妬に過ぎず経済学ですらない。私や経済学には「成長(GROWTH)」の観点に基づくが、マルクスには「成長」の概念がない。そして、マルクスは資本主義社会を「搾取する側」と「搾取される側」という二分法でとらえ、そこに「余剰価値」をめぐるゼロサム的な力学しか見ていない。資本家が富を得れば、労働者が富を失う、このようなゼロサムの見方では、「全員が豊かになる成長」という発想が理論的に存在し得ない。マルクス経済は配分の理論であって、創出の理論を欠いている。ゆえに、マルクスの思想は経済学ではなく、嫉妬に基づく観念体系にすぎない、マルクスの理論は貧困者の代弁者を装ってるが、マルクス自身は文化資本を持つ上流階級の出身者であり金持ち(エンゲルスの金)である。
なお、産業革命以前の格差は、狩猟採集社会から農耕社会への移行により剰余が生じ、それが土地や生産手段の私有財産(排他的所有)として固定化されたことに起因する。一方、産業革命以降に顕在化した格差も、生産手段の所有が一部に偏在している点で共通しており、資本家と労働者の対立という形をとりつつ、市場取引と資本蓄積の差として現れている。いずれにせよ、格差とは所有の偏在に由来するものである。
狩猟採集社会においては、獲物は保存が困難であり、独占すれば腐敗による損失が生じるうえ、自身が狩りに失敗した際の生存リスクが高まる。このため、獲物の分配・共有は利他的倫理というよりも、合理的なリスク分散として機能していたと考えられる。技能や貢献度に基づく一時的な消費の格差的優位は存在したものの、資源を永続的に保有できないため、固定化された経済的格差は発現しにくかったと考えられる。

出典:平凡社『改訂新版 世界大百科事典』(コトバンク)
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ノマグチ ショウ/38歳/男
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