2026/7/11
NHK朝ドラ「風、薫る」を見て、朝から深く考えさせられました。
主人公のりんが、余命いくばくもない患者の願いを聞き、病院に内緒で自宅へ連れて帰る場面がありました。その患者は、奥さんに最後の別れを告げることができました。しかし病院に戻ったところで力尽き、亡くなってしまいます。
患者本人にとっては、最後にどうしてもかなえたかった願いだったのでしょう。りんは、その気持ちに寄り添いました。人として見れば、これほど温かい対応はないのかもしれません。
しかし、病院という組織から見ればどうでしょうか。病院としては、少しでも長く生きてもらうこと、医師や看護婦が責任を持って管理することが求められます。患者の願いをかなえることと、命を守る責任。その間には、簡単には答えの出ない葛藤があります。
先週の回では、看護婦見習いの生徒が、りんに対して「先生のような看護婦がよい看護婦であるなら、私は看護婦にはなりたくありません」という趣旨の言葉を残して去っていく場面がありました。とても重い言葉でした。
人として正しいことと、看護婦として正しいことは、必ずしも同じではない。そういう問いを突きつけられた気がしました。
実は、私も市役所勤務時代に、同じような悩みに何度も直面しました。
個人としては、その方の事情に深く共感できる。何とかしてあげたいと思う。しかし、組織としてそれをしてよいのか。すべての人に同じ対応ができないのであれば、特別な対応をするべきではないのではないか。そんな場面がありました。
正直に言えば、私もりんと同じように、目の前の人の気持ちに寄り添って対応したことがあります。その時は、それが一番正しいことだと思っていました。しかし今振り返ると、組織としては本来、してはいけない判断だったのかもしれません。
行政には公平性が求められます。一人に特別な対応をすれば、なぜ他の人にはしないのかという問題が必ず生じます。善意であっても、前例になれば組織全体を揺るがすことがあります。
一方で、すべてを「公平性」の一言で片づけてよいのかという思いもあります。
たとえば杉原千畝は、列車が動き出す直前までビザを書き続けたと言われています。それは、通常の手続きから見れば特別な措置であり、すべての人に同じ対応ができたわけではありません。どうしてもビザを受け取れなかった人もいたでしょう。
それでも、その行動によって多くの人命が救われました。
では、百パーセントできないことは、最初からしてはいけないのでしょうか。救える人がいるなら、たとえ全員を救えなくても動くべきなのでしょうか。
これは簡単な問題ではありません。
組織にはルールが必要です。公平性も必要です。担当者の感情だけで判断すれば、行政も医療も成り立ちません。しかし、ルールを守ることだけが目的になり、目の前の人の苦しみや願いを見失ってしまえば、それもまた本来の仕事から離れてしまうのではないかと思います。
大切なのは、個人の善意だけに頼るのではなく、例外的な事情をどう受け止めるのか、組織として考える仕組みを持つことではないでしょうか。
「前例がないからできません」で終わらせるのではなく、なぜできないのか、どうすれば少しでも近づけるのかを考える。反対に、善意だけで突っ走るのではなく、その判断が他の人にどう影響するのか、組織として説明できるのかを考える。
人として寄り添うこと。
組織人として責任を果たすこと。
その二つは、時にぶつかります。しかし、どちらか一方だけでよいわけではありません。
朝ドラの一場面でしたが、看護の話でありながら、行政にも、政治にも、地域活動にも通じる大きな問いを投げかけられた気がしました。
人に寄り添うとはどういうことか。
公平であるとはどういうことか。
そして、組織の一員として責任を持つとはどういうことか。
今朝は、ドラマを見ながら、しばらく考え込んでしまいました。
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