選挙ドットコム

種田 昌克 ブログ

映画『息子』と中島みゆき「with」―壁を越えて、ともに生きるということ

2026/7/4

久しぶりに中島みゆきさんの「with」を聴いていたら、急に映画『息子』が見たくなりました。
『息子』は、山田洋次監督の傑作のひとつだと思います。三國連太郎さん、永瀬正敏さん、和久井映見さんが出演している映画です。私がこの映画を見たのは、もう30年ほど前のことですが、不思議なことに、いくつもの場面が今でも心に残っています。
物語は、東京で不安定な生活を送る息子と、岩手で一人暮らしをする父を中心に進んでいきます。
永瀬正敏さん演じる哲夫は、東京の居酒屋でアルバイトをしています。時代は1990年、平成2年。世の中はまだバブル景気の空気の中にありました。しかし、哲夫の暮らしは華やかな都会のイメージとはほど遠く、どこか足元が定まらないものです。
母の一周忌で故郷の岩手に帰った哲夫は、父の昭男からその不安定な生活を戒められます。親からすれば、息子の将来が心配でたまらない。けれども、息子からすれば、自分の生き方を否定されたようにも感じる。親子だからこそ分かり合えることもあれば、親子だからこそぶつかってしまうこともあります。
その後、哲夫は居酒屋のアルバイトを辞め、下町の鉄工所で働き始めます。最初はアルバイトとして働き、やがて有期雇用のフルタイムへと登用されていきます。鉄工所の仕事は楽ではありません。汗をかき、体を使い、時には孤独も感じる。バブル景気の華やかな時代の裏側で、地道に働く若者の姿が描かれています。
そんな哲夫が、製品の配達先で一人の女性と出会います。
埃っぽい倉庫で、一人黙々と仕事をしている女性。伝票を処理してくれるその女性の名前が、征子です。演じているのは和久井映見さんです。
哲夫は、配達のたびに征子と顔を合わせることが楽しみになります。仕事はつらい。毎日が楽しいわけではない。それでも、彼女に会えることが、哲夫にとって少しずつ心の支えのようになっていきます。
征子は、哲夫に笑顔を見せてくれます。けれども、声をかけてはくれません。挨拶をしても返事がない。なぜ何も言ってくれないのか。なぜ自分に一言も話してくれないのか。哲夫の中に、もやもやした思いが募っていきます。
やがて哲夫は、入院中の相棒であるタキさんを見舞った際に、征子には聴覚障害があり、声で言葉を話すことができないのだと聞かされます。
その瞬間、哲夫の中に、自分自身への恥ずかしさと怒りが込み上げてきます。自分は、彼女のことを何も知らなかった。知らないまま、自分の物差しだけで見ていた。勝手に期待し、勝手に苛立ち、勝手に傷ついていた。
しかし、その恥ずかしさは、征子に対する距離にはなりません。むしろ、哲夫は彼女を一人の女性として、まっすぐ見ようとします。聴覚障害があるからかわいそうなのではない。声で話すことができないから特別なのでもない。一人の人間として、一人の女性として、哲夫は征子に向き合っていきます。
この映画で特に印象に残るのは、和久井映見さんの演技です。
征子は、聴覚障害のため声で言葉を話すことができません。だからこそ、表情、視線、しぐさ、微笑みの一つひとつが、言葉以上に多くのものを伝えてきます。声に出して語らないからこそ、彼女の孤独や強さ、哲夫に対する少しずつの信頼が、見る者の心に静かに届いてくるのです。
和久井映見さんは、台詞ではなく、存在そのもので征子という女性を演じています。少しうつむいた表情、ふっと見せる笑顔、相手の気持ちを受け止めようとするまなざし。その一つひとつが、とても丁寧で、今思い出しても胸に残ります。
私は、この映画は親子の物語であると同時に、人と人が「壁」を越えて出会う物語でもあると思います。
哲夫と征子の間には、最初、確かに壁があります。聞こえる人と聞こえない人。声で話せる人と、声で話すことができない人。その違いが、二人の間に距離をつくっています。
しかし、本当の壁は、障害そのものではないのかもしれません。
むしろ、相手のことを知らないまま決めつけてしまうこと。自分と違う人を、無意識のうちに遠ざけてしまうこと。相手の事情を想像せず、自分の常識だけで判断してしまうこと。そこにこそ、壁があるのだと思います。
哲夫は、征子と出会うことで、その壁に気づきます。そして、少しずつ、その壁を越えようとします。
翌年の1月、上京してきた父の昭男に、哲夫は征子を紹介します。そして、征子と結婚したいと告げます。
父にとって、それは驚きでもあり、不安でもあったと思います。親は、子どもの幸せを願うからこそ心配します。息子の選んだ道が本当に大丈夫なのか。これから苦労するのではないか。そう考えるのは、親として当然かもしれません。
けれども、昭男は息子の人生を受け止めていきます。息子はもう、親の言うとおりに生きる子どもではない。自分で働き、自分で人を愛し、自分の人生を歩もうとしている。その門出を、父は見送ります。
そして昭男は岩手に戻ります。誰もいない家の中に、かつて家族と暮らした暖かい日々の様子がよみがえってきます。あの場面は、何とも言えない寂しさと温かさに満ちています。
親はいつか、子どもを送り出さなければならない。子どもはいつか、親から離れて自分の人生を歩かなければならない。家族というものの切なさと尊さが、静かに描かれている場面です。
そして、ここで私の中に重なってくるのが、中島みゆきさんの「with」です。
この歌を久しぶりに聴いたとき、私は映画『息子』のことを思い出しました。私にとって「with」は、たくさんある壁を一つひとつ取り除いて、共に生きていこうとする歌のように聞こえます。
壁の向こうには、聴覚障害のある人がいる。
別の壁の向こうには、視覚障害のある人がいる。
もっと身近なところにも、いろいろな壁があります。
既婚者と独り身。
子どもがいる人と、いない人。
友達が多い人と、孤独を抱えている人。
富裕層と、日々の暮らしに苦しんでいる人。
健康な人と、病気や障害とともに生きている人。
都会に暮らす人と、地方に暮らす人。
若い人と、高齢の人。
私たちの社会には、実にたくさんの壁があります。
しかも、その壁は、いつも目に見えるとは限りません。本人は壁だと思っていなくても、周りが勝手に壁をつくってしまうこともあります。善意のつもりで距離を置いてしまうこともあります。配慮しているようで、実は相手を特別扱いし、遠ざけてしまうこともあるのではないでしょうか。
「with」という言葉には、「一緒に」「共に」という意味があります。
共に生きるということは、きれいな言葉です。しかし、それは標語だけで実現するものではありません。相手のことを知ろうとすること。自分の思い込みに気づくこと。ときには恥をかきながら、それでももう一歩近づいてみること。その積み重ねの先にしか、本当の「with」はないのだと思います。
映画『息子』の哲夫は、最初から立派な青年として描かれているわけではありません。むしろ、不器用で、未熟で、危なっかしいところがあります。父から見れば心配な息子です。しかし、征子との出会いを通して、哲夫は少しずつ変わっていきます。
誰かを本気で大切に思うことで、人は変わるのかもしれません。
誰かの痛みや孤独に触れることで、人は少し優しくなれるのかもしれません。
自分とは違う人と出会うことで、自分自身の狭さにも気づくのかもしれません。
この映画が素晴らしいのは、障害を特別な美談として描いていないところだと思います。征子は「かわいそうな人」として描かれているのではありません。哲夫を成長させるためだけの存在でもありません。彼女には彼女の人生があり、誇りがあり、孤独があり、強さがあります。
だからこそ、哲夫が征子を一人の女性として愛する姿に、見る者は心を動かされるのだと思います。
30年ほど前に見た映画ですが、今の若い人にも見てほしいと思います。
時代背景は平成初期です。街の雰囲気も、働き方も、今とは違います。携帯電話もインターネットも、今のようには普及していません。しかし、描かれているテーマはまったく古びていません。
不安定な仕事。
親子の距離。
地方と東京。
孤独。
障害への理解。
人を好きになること。
家族から巣立つこと。
そして、違いを越えて共に生きること。
どれも、今の時代にもそのまま通じるテーマです。
むしろ、今だからこそ、この映画の静けさが大切なのかもしれません。
今は、何でもすぐに分かったような気になれる時代です。インターネットで検索すれば、たいていの情報はすぐに出てきます。けれども、本当に人を理解することは、そんなに簡単ではありません。
相手の背景を知る。
相手の沈黙に耳を澄ます。
言葉にならない思いを想像する。
自分の中にある偏見や思い込みに気づく。
そうしたことは、時間がかかります。面倒でもあります。けれども、その面倒さを避けてしまえば、人と人との間の壁は、いつまでも残ったままです。
『息子』は、声高に何かを訴える映画ではありません。大きな事件が次々に起こるわけでもありません。けれども、見終わったあと、静かに心の中に残るものがあります。
父と息子。
哲夫と征子。
岩手と東京。
聞こえる世界と、聞こえない世界。
一人で生きることと、誰かと共に生きること。
その間にある壁を、この映画は静かに見つめています。
久しぶりに中島みゆきさんの「with」を聴いて、私はこの映画をもう一度見たくなりました。そして、あらためて思いました。
人と人との間には、たくさんの壁があります。
けれども、その壁は、最初から越えられないものではない。
相手を知ろうとすること。
自分の思い込みを疑うこと。
そして、共に生きようとすること。
その一歩から、壁は少しずつ低くなっていくのだと思います。
映画『息子』は、親子の物語であり、恋の物語であり、働く若者の物語であり、そして「with」、つまり共に生きることの意味を考えさせてくれる作品です。
30年たっても、なお心に残る映画があります。
私にとって『息子』は、まさにその一本です。

この記事をシェアする

著者

種田 昌克

種田 昌克

選挙 大垣市議会議員選挙 (2027/04/30) - 票
選挙区

大垣市議会議員選挙

肩書
党派・会派 自由民主党
その他

種田 昌克さんの最新ブログ

種田 昌克

オイダ マサカツ/56歳/男

種田 昌克

種田 昌克 トップページへ

寄付して応援する

「種田 昌克」をご支援いただける方は、是非個人献金をお願い申し上げます。
※選挙ドットコム会員登録(無料)が必要です。

月別

ホーム政党・政治家種田 昌克 (オイダ マサカツ)映画『息子』と中島みゆき「with」―壁を越えて、ともに生きるということ

icon_arrow_b_whiteicon_arrow_r_whiteicon_arrow_t_whiteicon_calender_grayicon_email_blueicon_fbicon_fb_whiteicon_googleicon_google_whiteicon_homeicon_homepageicon_lineicon_loginicon_login2icon_password_blueicon_posticon_rankingicon_searchicon_searchicon_searchicon_searchicon_staricon_twitter_whiteicon_youtubeicon_postcode