2026/6/27
先日、サッカーワールドカップの日本対スウェーデン戦が行われました。放送は日本時間の朝8時から。会社勤めの方や学生にとっては、ちょうど通勤・通学、そして一日の始まりと重なる時間帯です。
私も例にもれず、最初の20分ほどだけテレビで観て、その後は仕事に出かけました。気にはなりながらも、さすがに最後まで観るわけにはいきません。昼になって、日本が引き分けたことを知りました。
夜になってから、「NHK ONEで観ようか」と息子を誘ったところ、思いがけない返事が返ってきました。
「もう学校で観たよ」
詳しく聞いてみると、なんと1時間目に、各クラスでサッカーの応援をしたとのこと。全校でそうした対応をしたようです。私は思わず、「学校も粋なことをするなあ」と感心しました。
その後、知人にも聞いてみると、隣の中学校でも同じように1時間目をサッカー観戦に充てたとのことでした。もしかすると、市内の多くの学校で同様の対応が行われたのかもしれません。
一昔前であれば、こうしたことはまず考えられなかったのではないでしょうか。
私が中学生だったころ、プロ野球の日本シリーズは昼間に開催されていました。記憶では昭和57年、中学1年生のとき、中日対西武の日本シリーズがありました。その試合を観るために、学校を休んでナゴヤ球場へ行った同級生もいました。
もちろん、ワールドカップと日本シリーズでは意味合いも違います。サッカー日本代表の試合は、国を挙げて応援する雰囲気がありますし、教育的な要素も見出しやすいのかもしれません。
ただ、子どもたちが試合のことを気にして授業に集中できないという点では、昔も今も同じです。だったら、無理に「いつも通り」を貫くのではなく、思い切ってみんなで観戦し、応援し、同じ時間を共有する。そういう柔軟さがあってもよいと思います。
もちろん、学校は本来、授業を行う場です。何でもかんでもイベント化すればよいという話ではありません。しかし、社会全体が注目する出来事を、学校の中で子どもたちと一緒に受け止めることには、大きな意味があるのではないでしょうか。
スポーツには、人を引きつける力があります。勝った、負けた、引き分けたという結果だけでなく、同じ時間に同じ画面を見つめ、友達と声をあげ、悔しがったり喜んだりする経験そのものが、子どもたちの記憶に残ります。
今回の学校の対応を聞いて、私は少しうれしくなりました。決められた時間割をただ機械的にこなすのではなく、その時々の社会の動きや子どもたちの関心を受け止める。そうした余白が、今の学校には少しずつ生まれているのかもしれません。
私が中学生だったころには、たぶんなかった対応です。
「1時間目はサッカー観戦」。
実に粋です。
柔軟な対応をした中学校に、座布団一枚。
この記事をシェアする
ホーム>政党・政治家>種田 昌克 (オイダ マサカツ)>サッカー観戦の1時間目に、学校の柔軟さを見た