2026/7/5
永田町にいた頃と、都議会議員になった今とでは、同じニュースを見ていても見える景色が少し違う。
今、国会では予算委員会の開催を巡って与野党の対立が続いている。SNSを開けば、「審議拒否」「国会に出てこない」「税金泥棒」「ボーナスだけは満額」。そんな言葉が次々と流れてくる。
「そんな単純な話ではない」と思う。
あの場所で、本気で仕事をしていない政治家を、少なくとも私は国民民主党ではほとんど見たことがない。与党にも野党にも、それぞれ譲れない理屈がある。表からは見えない交渉があり、何度も役所と協議を重ね、質問を作り、法案を読み込み、会議を繰り返している。国会中継に映るたった数分のために、その何十倍もの時間が費やされている。
だから、「何もしていない」「サボっている」という言葉には違和感がある。
でも、永田町を出てからは、その違和感だけでは済まされないことにも気付いた。
永田町の外から見える政治は、まったく違う。
国民から見えるのは、積み重ねた交渉ではなく結果だ。予算委員会が開かれない。与党と野党が言い争っている。ニュースでは対立ばかりが報じられる。その一方で、国会議員のボーナスの話題が流れる。事情を知らなければ、「何をやっているんだ」と思うのは自然なことだと思う。
永田町の中で見えている景色も本当だし、外から見えている景色も本当なのだ。どちらかが間違っているわけではない。だからこそ、政治家には説明する責任がある。
「分かってくれ」ではなく、「分かるように伝える」。
その努力を続けるしかない。
だけど、その作業は年々難しくなっているように感じる。
私が一番危機感を覚えているのは、今回の国会対応そのものよりも、政治を取り巻く空気だ。
政治界隈が、あまりにも殺伐としている。
インターネットによって、誰もが政治について発信し、意見を言えるようになった。それ自体は民主主義にとって、とても良い変化だったと思う。政治は一部の人だけのものではなくなり、誰もが参加できるものになった。
でも同時に、政治は少しずつコンテンツにもなった。
強い言葉ほど広がる。短く断定する言葉ほど支持される。冷静な説明よりも、怒りや対立の方が拡散される。
「誰が悪いのか。」
「どちらが勝った/負けたのか。」
そんな視点で政治が消費されることが増えた。
もちろん、対立そのものが悪いとは思わない。
私は「対決より解決」という言葉が好きだけれど、解決のためには対決が必要な場面もある。行政を動かすために厳しく追及しなければならないこともあるし、譲れない一線だってある。
でも、その対決も切り取られれば、「また揉めている」「またプロレスをやっている」と映ってしまう。
政治の目的より、政治の見せ方だけが消費される。
そして、その空気の中では、積極的に発信する政治家ほど針の筵になる。何かを発信すれば切り取られる。説明をすれば言い訳だと言われる。少しでも相手への理解を示せば「日和った」と言われる。
逆に、何も発信しなければ批判される機会も少ない。
そんな状況を見ていると、「発信しない方が得なのではないか」と思ってしまう政治家がいても不思議ではない。でも、それでは政治と社会の距離は、もっと遠くなってしまう。
どれだけ説明しても届かないこともある。最初から批判することを目的としたコメントに出会うこともある。それでも、政治家だけではなく、政党も、メディアも、支持者も、有権者も、それぞれが少しだけ「相手を理解しよう」と思えたなら、今よりもう少し違う景色が見えるのではないかと思う。
永田町の中にいると見えなくなる景色がある。
永田町の外からは見えない景色もある。
だからこそ、その間を行き来しながら言葉を紡ぐ人が必要なのだろうし、国政政党が果たすべき国会議員と地方議員の連携の形はそこにこそ発揮されるべきなのではないだろうか。
私も、その一人でありたい。
インターネットによって、民主主義は間違いなく身近なものになりつつある。
その民主主義を育てるのか、それとも対立だけを増幅させるのかは、政治家だけではなく、そこに関わる私たち一人ひとりに委ねられている。
インターネット時代の民主主義とは何だろうか。
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