2025/6/16
こんにちは、足立区で活動する、えらやすひろです。
今回は、足立区の中でも急速な発展を遂げつつある「六町(ろくちょう)エリア」に焦点を当て、地域の歴史、現在進行中のまちづくり、そして未来への展望についてお話ししたいと思います。東京メトロつくばエクスプレス(TX)六町駅の開業を契機に、まちの姿は大きく変わりつつあります。
この記事では、六町エリアの魅力を3つの視点から紐解きます。
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六町エリアの都市整備は、足立区の「エリアデザイン」政策の中でも最重要プロジェクトのひとつとして位置づけられています。六町駅周辺の整備が本格化したのは、つくばエクスプレスの開通(2005年)以降です。
特に注目すべきは、駅前区有地の利活用や、補助第258号線(環七北通り)の整備が、生活動線と公共交通の利便性を飛躍的に高めた点です。交通インフラの整備と同時に、子育て支援施設や高齢者向け施設、防災拠点の導入も進められており、「暮らすための都市基盤」が着実に整っています。
足立区はこのエリアを「人と人がつながる場所」「地域経済が活性化する拠点」として設計しており、住民アンケートや説明会を通じて、地域の声を反映する姿勢が強く打ち出されています。
特筆すべきは、六町駅東口・西口のバランスを重視した都市設計です。現在、西口周辺はマンションや商業施設の開発が進み、子育て世代を中心とした転入が増加。一方で東口は教育・福祉施設の誘致が行われており、多世代が共存する持続可能なまちが形成されつつあります。
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六町という名前は比較的新しい地名に思われがちですが、実はその成り立ちは足立の開墾と深く関わっています。
江戸時代以前、現在の六町周辺は「六月村」「竹塚村」「保木間村」「花畑村」などの飛び地でした。それぞれの村の次男・三男たちが中心となり、新たに農地を開墾し、暮らしの場を築いたことで、六町の原型が生まれたのです。つまり六町は「六つの町」ではなく、「複数の村の飛び地が融合してできた農村的エリア」だったのです。
こうした背景から、六町には“自主独立”の気風が根付いており、現在でも地域の運動会や防災訓練、清掃活動などに住民が積極的に関わる文化が残っています。
また、地域の信仰の中心として整備されたのが「六町神社」。昭和8年に近隣の竹塚神社や八幡神社の御分霊を合祀し創建されたこの神社は、戦前から戦後の復興期にかけて、地域の心の拠り所となってきました。
近代以降、昭和40年代には団地や商業施設が進出し、都市化が進行。さらにTX開業以降は再び住宅開発が加速。かつての農村風景と、近代的なまちづくりが共存する風景は、六町ならではの魅力です。
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六町エリアは、足立区が描く「未来型都市モデル」の最前線といっても過言ではありません。
例えば、「六町ミュージアム・フローラ」は、美術・芸術を中心に据えた文化発信の拠点であり、まちの知的・創造的価値を高める重要なランドマークとなっています。
また、子育て世代のニーズに対応するため、保育所や子ども家庭支援センターも整備が進んでおり、六町周辺では「子育てしやすいまち」としてのブランドが着実に形成されています。
UR団地の再整備も含め、六町エリアでは“ハード整備”だけではなく、“ソフト戦略”──すなわち住民の幸福度や地域の絆を高める取り組みが重視されています。町会、商店会、PTA、ボランティア団体などが連携し、地域イベントやマルシェ、防災フェスなどが活発に開催されています。
私が現場で感じるのは、「声を出せば変わる」という住民の前向きな気質です。その背景には、歴史的に自分たちの手でまちを作ってきたという誇りと経験があるからこそ。行政と住民がパートナーとして取り組む“共創型まちづくり”は、足立区のモデルとして他地域にも波及していくはずです。
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六町エリアは、足立区の中でも「発展」と「歴史」、「都市」と「人情」が絶妙に調和したエリアです。
私は、こうした場所からこそ、足立の未来を描くことができると信じています。
開発一辺倒ではなく、地域の文化や風土を尊重しながら、誰もが安心して暮らせるまちをつくる。そんな思いを胸に、私は六町のまちづくりに今後も携わっていきたいと思います。
足立区や六町を検索してこの記事に辿り着いた方には、ぜひ現地を歩き、地域の空気を感じてほしい。
六町は、足立の“次の10年”を象徴するまちです。
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エラ ヤスヒロ/32歳/男
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