2025/6/20
こんにちは、足立区で活動する、えらやすひろです。
今回ご紹介するのは、足立区南東部に位置する「綾瀬・北綾瀬エリア」。住宅地としても、子育て環境としても注目されるこの地域は、近年急速に変化を遂げています。特に北綾瀬駅前を中心に進められているエリアデザインは、私が考える“足立区の未来像”に深く重なるものがあります。
このエリアは、かつての農村的な景観と、昭和の団地文化、そして現代の再開発が混在する、いわば「時間が交差するまち」です。今回は、その魅力を三つの視点──エリアデザイン・歴史・未来づくり──で掘り下げてご紹介します。
現在、綾瀬・北綾瀬エリアでは、特に北綾瀬駅周辺において大規模な再開発と「エリアデザイン」が進められています。エリアデザインとは、都市空間における景観・機能・動線・公共性などを総合的にデザインし、「暮らしやすさ」と「にぎわい」を両立する計画です。
北綾瀬駅は2019年に東京メトロ千代田線の始発駅となり、アクセス面が大きく向上しました。これにより、都心への直通運転の利便性が格段にアップ。地価や住宅需要の上昇も見られ、子育て世帯や若年層の転入が進んでいます。
駅前交通広場、歩道の拡幅、バリアフリー整備、都市型公園の整備計画──いずれも「人の動き」を中心に考えられています。さらに、子育て支援施設や防災機能を備えた公共施設の設置も視野に入っており、地域の「暮らしの安全」と「交流の促進」を見据えた都市戦略が展開されています。
私がこのプロジェクトに注目する理由は、単なるインフラ整備にとどまらず、「まちをどう使い、どう育てるか」に重点を置いた視点があるからです。足立区に必要なのは“住み心地のよさ”を更新していくための共創。その実験場として、綾瀬・北綾瀬は最前線に立っています。
綾瀬という地名は、「綾(あや)」=色や形の美しい織物、「瀬(せ)」=流れる水の場所を指すとされ、古くから農業と水辺の関係が深い土地であることを示しています。かつての綾瀬川は、田畑を潤し、舟運の拠点でもありました。
明治・大正期を経て昭和に入り、東京近郊の都市化にともない綾瀬周辺には工場や住宅地が増加。現在の北綾瀬駅周辺には、多くの団地群や中小工場が立地し、“働くまち”としても機能してきました。特に昭和40〜50年代には、いわゆる「団地文化」が花開き、町内会や夏祭りなど地域コミュニティの礎が築かれた時代です。
現在も残る神社仏閣、古墳跡、そして地元の伝統行事は、このエリアの豊かな歴史を物語っています。足立区立郷土博物館(竹ノ塚寄りですが)には、綾瀬・北綾瀬を含む旧足立郡の生活文化や文献が展示されており、地域の歴史に触れることができます。
歴史の中で培われた「助け合い」や「地域の絆」は、災害時の避難対応や防犯活動にもつながっており、まさに“見えないインフラ”として現在にも息づいています。
北綾瀬エリアの可能性は、ハード(インフラ)整備だけでなく、ソフト(人・活動)の充実によって大きく左右されます。まちづくりにおいて私が常に大事にしているのが「住民との対話」です。
綾瀬・北綾瀬エリアでは、地域密着型の子育て支援団体や、高齢者の生活支援団体、若者のまちづくりプロジェクトなど、多様な主体が連携し始めています。これは非常に希望ある動きです。
たとえば、駅前広場を活用した地域マルシェや、防災フェスティバル、親子イベントなど、“地域の手で地域を動かす”仕組みが芽吹いています。こうした取組が広がることで、まちは「場所」から「つながり」へと変わっていきます。
また、行政もこれに呼応する形で、都市整備部門と福祉・教育部門の連携強化を図っています。単なる都市開発ではなく、“人間中心のまち”づくりへ。私はその流れを後押ししたいと思っています。
綾瀬・北綾瀬が、住みたいまちから「住み続けたいまち」へ。そして、他のエリアにも広げられるロールモデルになることを願っています。
綾瀬・北綾瀬エリアは、ただの住宅地ではありません。
農村と都市、団地と再開発、歴史と未来。異なる時間軸が重なり合うからこそ、個性的であり、可能性に満ちています。
私は、政治の役割とは「地域の声を形にすること」だと考えています。
綾瀬・北綾瀬のように、人が動き、考え、協力する現場にこそ、足立区の本当の強さがある。その姿を、これからも皆さんと一緒に育てていきたいと思います。
まちを歩くと、歴史が見える。
人と話すと、未来が見える。
そして、それをつなぐ「いま」が、私たちにできる最良のまちづくりの時間だと信じています。
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エラ ヤスヒロ/32歳/男
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