2026/6/30
国旗損壊罪の創設法案が、衆議院本会議で可決されました。
法案は、日本の国旗を「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させるような方法」で公然と損壊、除去、汚損した場合、2年以下の拘禁刑又は20万円以下の罰金を科すものです。
私は、この法案に反対します。
これは「国旗が大切かどうか」という話ではありません。国旗に愛着を持つ人がいることは当然です。
問題は、政府が何のために存在しているのか、刑罰は何のためにあるのか、ということです。
政府は、人々の生命、身体、自由、財産、生活を守るために存在しています。だからこそ、税金を徴収し、警察、裁判所、消防、教育、福祉、インフラなどを維持することが正当化されます。
刑罰も同じです。人を罰する法律は、他者の生命、身体、自由、財産など、具体的な法益を守るためにあります。
人を殴る。脅す。盗む。だます。他人の物を壊す。こうした行為は、具体的に誰かを害しています。だから刑罰を用いる理由があります。
では、自分の所有する国旗を政治的抗議として傷つける行為はどうでしょうか。
それによって、誰かの身体が傷つくわけではありません。誰かの財産が奪われるわけでもありません。特定の個人に、直接の肉体的・精神的苦痛を与える行為でもありません。
もちろん、それを見て不快に思う人はいるでしょう。しかし、「不快に思う人がいる」ことを理由に刑罰を作るのは危険です。政治的批判も、デモも、風刺も、芸術表現も、誰かにとっては不快だからです。
今回の法案は、施行後の検討事項として「国旗を大切に思う国民感情を保護する」ことを掲げています。
ここが根本的におかしい。
国旗を大切に思う感情は、個人の内心に属します。同時に、国旗に批判的な感情を持つことも、国旗に無関心であることも、個人の自由です。
政府は、人間を守るために存在しているのであって、国旗という象徴物を人間と同じように扱うために存在しているのではありません。
「諸外国にも同じような法律がある」という意見もあります。確かに、国旗損壊を処罰する国は存在します。米国議会図書館の比較法調査も、選択された40か国について、国旗損壊に関する法制度を調べています。
しかし、国連加盟国だけで193か国あります。 その中で40か国だけを調べ、その中で多数派だったことをもって「国際基準」と言うのは無理があります。
40か国は193か国の約2割にすぎません。残り150か国以上については、その調査からは何も言えません。
むしろ、残りの国々では、国旗損壊など刑罰で取り締まるほどの問題ではないと考えられている可能性もあります。少なくとも、その可能性を否定する根拠はありません。
「諸外国にもある」という言葉で、問題の本質をごまかしてはいけません。
重要なのは数ではありません。ロジックです。
その法律は、何を守るためのものなのか。
人間の生命、身体、自由、財産を守るためのものなのか。
それとも、国家の象徴への敬意を刑罰で強制するためのものなのか。
国旗損壊罪は、人間を守る法律ではありません。国家象徴を傷つける行為を、人間への加害と同じように扱う法律です。
それは時代錯誤です。
他人の国旗を壊せば、器物損壊で対応できます。火を使って危険を生じさせれば、既存法で対応できます。行事を妨害すれば、業務妨害などが問題になります。
具体的な被害がある場合には、既存法で対応できるのです。
それにもかかわらず、国旗への態度そのものを刑罰で取り締まる方向に踏み出すなら、それは政府の役割を誤っています。
政府は国旗のためにあるのではありません。人間のためにあります。
国旗を大切に思う自由はあります。しかし、国旗を大切に思うことを刑罰で強制する権限は、政府にはありません。
だからこそ、国旗損壊罪は廃案にすべきです。
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