2026/3/22
前回のブログでは、住民の強い団結によって香芝市の学校統廃合計画を白紙撤回へと導いた歴史的な経緯をお伝えしました。住民一人ひとりが「自分たちの学校」を守るために立ち上がった熱量は、今もなお多くの自治体に希望を与えています。今回は、現在進行形で激しい議論が続く東京都町田市の事例を引き合いに出し、私たち大人が子どもたちの未来を守るために、どのような視点を持ち、どのように行動すべきかを考えてみます。
町田市では現在、全小中学校62校のうち、なんと約3分の2にあたる校数が統合・再編の検討対象となるという、極めて大規模かつ過激な計画が強行されています。これは単なる「調整」の域を超えた、教育インフラの解体とも呼べる事態です。学校統廃合の議論の渦中にある古河市においても、他都市の事例に見られるような「財政効率の最大化」を優先した強硬策が、住民の声を押し切る形で進められるリスクが非常に高いと言わざるを得ません。行政は一度動き出すと、前例主義と予算執行を優先し、現場の「体温」を無視する傾向があるからです。
町田市は、国(文科省)が示す適正規模の標準(12〜18学級)を大幅に超える「小学校は最大24学級」という過大な市独自基準を一方的に設定しました。これにより、教育環境として十分に機能している適切な規模の学校までもが「不適正」の烙印を押され、統廃合の対象に放り込まれています。 その象徴的な失敗が、成瀬小学校の事例です。行政による将来人口の予測ミスと独自基準への固執により、統合直後に教室が不足するという信じがたい事態が発生しました。その結果、校庭に仮設校舎を急造して子どもの遊び場を奪い、教育環境を悪化させるという、本末転倒な状況を招いています。一度壊した校舎はすぐには戻せません。この「行政の予測の甘さ」が招くツケを払わされるのは、常に今を生きる現場の子どもたちなのです。古河市が示す小中学校の適正規模・適正配置の基本方針についても行政の発言と行動が一致しているか市民の監視の目は必須になります。
行政は、体力や体格、歩行能力が大きく異なる小学生と中学生に対して、一律に「徒歩30分(約2km)」という距離基準を機械的に適用しています。しかし、低学年児の歩幅では30分で2kmを歩き切ることは困難であり、近年の記録的な猛暑下での熱中症リスクや、ゲリラ豪雨時の危険性は、行政の机上の計算には一切含まれていません。 さらに、統合によって通学路が長くなれば、死角となる場所や交通事故の危険箇所も増えます。これら「身体的・精神的負担」や「生命の安全」を無視し、通学を単なる「移動」と捉える計画は、子どもの安全をコスト削減の対価にする極めて危うい判断と言わざるを得ません。 古河市の基本方針を確認すると、小学生は4km以内、中学生は6km以内とこちらも市民の監視の目は必須になります。
町田市には、子どもの尊厳を重んじ、その意見を政策に反映させることを謳った「子どもにやさしいまち条例」が存在します。しかし、学校統廃合という子どもにとって人生を左右する重大な局面において、その精神は完全に無視されました。 教育委員会は「長期的な都市計画や財政問題について、子どもには判断能力がない」と一方的に決めつけ、当事者である子どもたちから直接意見を聴く機会を事実上封殺しました。こうした「理念は立派だが実行は伴わない」という行政の不誠実な姿勢は、古河市でも繰り返される可能性が高く、民主主義と教育権の危機です。
最も見過ごせない事実は、市長が都知事に対し、学校数を減らすことで教員の配置数を絞り、いかに地方交付税や自治体負担の人件費を抑制できるかを、あたかも「手柄」のように存在感を示していたという背景です。 表向きに掲げられる「切磋琢磨できる多様な友人関係の構築」や「専門科目の教員配置の適正化」といったスローガンは、その裏にある「徹底した経費削減」という冷徹な目的を隠すための偽装工作に過ぎません。教育を「未来への投資」ではなく、削るべき「負債・出費」として扱う行政の姿勢は、地域の宝である学校の存在意義を根底から否定するものです。
行政が「効率」という物差しで学校を測るとき、そこからこぼれ落ちるのは、数値化できない子どもたちの笑顔や安全、そして地域の絆です。町田市の事例は、決して「遠い街の出来事」ではありません。今、古河市で進められようとしている計画の裏側にも、同じような「数字合わせの論理」が潜んでいないでしょうか? 行政が教育をコストとしてしか見なくなった時、真っ先に切り捨てられるのは、声を持たない子どもたちの日常です。「専門性の向上」や「多様な交流」といった聞こえの良い言葉の裏に隠された、人件費削減という冷徹な本音。これに立ち向かえるのは、私たち大人一人ひとりの「監視の目」と「正当な怒り」だけです。町田市の財政優先の「独自基準」、予測の甘さが招く「教室不足」、そして教育をコストと断じる「人件費削減」の本音――。町田市の混迷が私たちに突きつけるのは、市民が声を上げなければ、行政の論理にすべてが飲み込まれてしまうという厳しい現実です。行政の予測ミスや基準の矛盾を正せるのは、お上の通達ではなく、現場を知る保護者や地域住民の「確かな眼」だけです。無関心は、行政の暴走に対する最大の加担になります。私たちは、子どもたちに「行政が勝手に決めたことだから」と言い訳をするのか、それとも「次世代の子ども達のために動いた」と胸を張るのか。その分岐点に、今、立たされています。「誰かがやってくれるだろう」という甘えを捨て、一人ひとりが街の主権者として立ち上がること。
行政を変えるのは、制度でも正論でもなく、住民一人ひとりの「譲れない」という情熱です。これからも思考を止めず、問い続けること。それが、最悪の事態を回避するための唯一にして最大の武器となります。この「強硬姿勢」という巨大な壁を前に、私たちはただ立ち尽くすしかないのでしょうか? いいえ、解決の糸口は必ずあります。次回は、この強硬な姿勢を崩すために、私たち市民が具体的にどのような策を講じるべきか、香芝市の成功事例も踏まえながらさらに深く掘り下げていきます。共に考え、動き出しましょう。



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ホーム>政党・政治家>峰 やすゆき (ミネ ヤスユキ)>古河市の学校統廃合⑤ 「教育インフラ解体」の危機。町田市の事例が教える統廃合の正体