2026/7/1
前回投稿ブログに続いて、同日行った「拙速な国民投票法改正に反対する決議」に対する反対討論を掲載します。
なかなか微妙なレトリックを使いましたが、キモは「拙速な国民投票法改正への反対は全面的に賛同する。そのためにも、公正厳格な法案作りの検討を止めてはならない。これは、憲法改正に賛成反対の立場を問わない」というものです。
「拙速な国民投票法改正に反対する決議」に対する反対討論
「拙速な国民投票法改正に反対する決議」に対する討論をします。
本決議が指摘する、インターネット広告や資金規制など、国民投票法におけるルール整備の必要性については、私も、全面的に共有します。
個人的には、公職選挙法 並みの、または、それ以上の規制が必要と考えます。
その意味では、こうした視点の抜け落ちたままの「拙速な法改正」には、私も賛成いたしません。
他方、決議案 中盤の捉え方となると、若干、考えを異にします。
「国民の多数が憲法改正を求めていない中で」と断定していますが、果たしてそうなのか。
それを確かめるための国民投票であり、その公正な環境整備のための法改正には、決して拙速であってはなりませんが、早急に取り組むべきです。
一方で、衆議院で与党が3分の2を占める今、権力者が、憲法に触れようとする際には、いっそう抑制的に振る舞うことが要請されます。
「日本国憲法」は、ほかの法規とは、まったく別の時間軸と視座から、この国の在りようを語っています。
憲法は、その前文の最後で、次のように謳っています。
「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」
日本国憲法は、人類史上、だれも見たことのない、どの国もなしえたことのない、崇高な理想を語っています。
その憲法が、「現状にそぐわなくなったから」という、いっときの権力者や政権の意向や都合によって、論じられるべきではありません。
その是非を最終的に判断するのは国会でも政府でもなく、主権者たる国民です。
そのための公正な国民投票制度を整えることは、改憲に賛成か反対かを超えて、民主主義に対する責任です。
ここまで縷々述べましたが、「拙速な国民投票法の改正に反対する」との文言には大いに賛同するものですが、その「拙速」の指し示す国民認識の現状が「果たしてそうなのか。言い切ってしまって良いのだろうか。それを問うのが国民投票ではないのか」との思いは払しょくできず、保留という黄色いボタンがないこの議席では、本決議には反対せざるを得ません。
国会においては、与野党の別なく、丁寧な議論を重ね、公正かつ必要な制度整備を着実に進めることを強く要望し、討論を終わります。
以上
いっときの権力者が、安易に憲法に触れてはならない!
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