2026/4/13
先日、地元の中学校でキャリアについて話す機会をいただいた。
議員と会社員を兼業しているという、少し変わった働き方をしている自分が、何を伝えられるか。
正直、うまく話せた自信はない。
伝えたいことはたくさんあった。だから一つに絞らず、あちこちにちりばめるように話した。
何か一つでも引っかかってくれたら、という思いで。
後日、生徒たちの感想が届いた。
「○○が印象に残っています。自分もこうしてみようと思います。」
そういう言葉を見つけた時、少しだけ届いたかもしれない、と思った。
受け取っただけじゃなくて、自分の話に引き寄せて考えてくれた。
それは嬉しかった。
一方で、そっけない感想を見ると、伝わらなかったかなと思ってしまう。
でもそれは正確じゃないかもしれない。
言語化できないだけかもしれないし、恥ずかしくて短く書いただけかもしれない。
感想の文字数で測れるものじゃない。
受け取り方は人それぞれ。表現も人それぞれ。
自分自身にも、そういう経験がある。
高校の時、いつもより大幅にテストの順位が上がったことがあった。
担任の先生が職員室で「なんでこんなところにいるんだ!」と、つぶやいていたのを、別の先生から聞いた。
先生は自分に伝えようとしていたわけじゃない。
でもその言葉が、妙に嬉しかった。
いつもより高順位なことに驚いたと受け取った。
見てくれていたんだ、という確信が。
それから大学を目指して勉強することにつながった。
その時の受け取り方は言葉の内容じゃなかった。
「この人は自分を見ている」、それだけで人は動けるものだと思う。
だから今回の話が、すぐに何かを変えなくてもいい。
数年後にふと思い出してくれる子が一人いれば、それで十分だと思っている。
自分がやっていることを知ってもらえれば、その後の選択肢は増える。
他人の言葉をどう受け取り、どの選択肢を選ぶかはその子が決める。
そういう自由な選択ができることが、豊かさだと思う。
私は、次の主役たちのために、そういう環境を創っていきたい。
100年続くスマイルタウンは、私一人では作れない。
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ホーム>政党・政治家>谷川 健一郎 (タニガワ ケンイチロウ)>中学生に話してきた、その後。