さとう しゅういち ブログ
「親切の外側」に子どもを乗せてはならない ―磐越道マイクロバス事故が突きつけた、日本の“...
2026/5/9
「親切の外側」に子どもを乗せてはならない
―磐越道マイクロバス事故が突きつけた、日本の“善意依存”の危うさ―
磐越自動車道で高校生が命を落としたマイクロバス事故は、単なる運転ミスではない。
学校と業者の説明は食い違い、運転手は「知人の知人」。
善意のつもりだったのかもしれないが、その“親切の積み重ね”は、制度の外側で放置され、ついに取り返しのつかない惨劇となった。
運転手は逮捕された。しかし、これで幕引きにしてはならない。
問題の核心は、日本社会が「善意」を法の外に置き、責任の所在を曖昧にしたまま子どもを移動させてきた構造そのものにある。
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■ 善意が制度の外にある国、日本
今回の運転手は、バス会社の社員ではなく、事故歴の確認もされていなかった。
レンタカー契約者と運転者が異なれば保険が適用されない可能性が高いことすら、誰も確認していない。
「親切だから」「頼まれたから」。
その言葉が、法的責任を曖昧にし、危険を覆い隠してきた。
だが、子どもの命を預かる移動に、善意のグレーゾーンが入り込む余地は本来ない。
日本は“親切”と“責任”の線引きが甘すぎる。
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■ 他国は「善意」を制度の中に組み込む
アメリカでは、スクールバスは学区の公式責任だ。
部活動の遠征も、契約したバス会社か公共交通に限られる。
保護者ボランティアが運転する場合でさえ、免許・保険・事故歴の提出が義務だ。
「知人の知人に頼んだ」などという運用は、制度上あり得ない。
イギリスでは、学校が行うすべての校外活動にリスクアセスメントが義務化されている。
運転者の資格、保険の有無、車両の状態まで文書で確認する。
善意の送迎であっても、学校が責任を負う以上、制度の中で管理される。
北欧やドイツでは、公共交通と教育政策が連動し、子どもの移動は社会全体の責任として設計されている。
「車を出せる人に頼む」という発想自体が生まれにくい。
共通するのは、善意を否定するのではなく、善意を制度の中に位置づけている点だ。
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■ 日本の部活動は「制度の外」で動いている
日本では、部活動の移動は学校の公式責任であるにもかかわらず、
実態は「顧問の工夫」「保護者の協力」「知り合いの親切」に依存している。
予算不足、人手不足、公共交通の衰退が重なり、
“非公式ルート”が常態化する土壌ができてしまった。
今回の事故は、その構造が破綻した結果である。
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■ 必要なのは「親切を制度の中に戻す」改革
事故を受け、私たちが問うべきは一つだ。
> 子どもの移動を、善意ではなく制度で守る社会に変えられるか。
そのために必要なのは、次の三点である。
1. 部活動・学校行事の移動を学校長の公式責任として明文化すること
2. ボランティア運転を登録制にし、免許・保険・事故歴を学校が確認すること
3. 自治体が移動インフラを整備し、公共交通・契約バスを確保すること
善意は尊い。しかし、善意が制度の外にある限り、同じ悲劇は繰り返される。
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■ 子どもの命を「親切の外側」に置いてはならない
今回の事故は、運転手一人の責任に矮小化してはならない。
学校、業者、自治体、そして社会全体が、
“親切に頼る文化”という構造的問題を直視しなければならない。
子どもの命を守るのは、善意ではなく制度である。
その当たり前の原則を、日本社会はようやく学ぶべき時に来ている。
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さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男