2026/7/20
こんにちは。
福井市議会議員選挙に挑戦予定の大谷たかまさです。
7月19日は福井空襲の日です。
1945年7月19日深夜から20日未明にかけて、福井市はアメリカ軍のB-29爆撃機による大規模な空襲を受けました。
約80分間にわたる爆撃で、市街地の約85%が焼失し、1,500人を超える尊い命が失われました。
私は毎朝、地域のラジオ体操に参加しています。
そこでは、戦争を体験された方から当時のお話を直接伺うことがあります。
■ B-29が頭上を飛んでいった光景
86歳の方は、当時まだ幼い子どもでした。
お母さんにおんぶされながら、芝原用水沿いを丸山方面へ逃げたそうです。
そのとき、空を見上げると、大きなB-29爆撃機が何機も飛んでいる姿を今でも鮮明に覚えていると話してくださいました。
このお話を伺って調べてみると、アメリカ軍の作戦記録では、B-29は琵琶湖北端付近から福井へ進入し、おおむね南から北へ市街地上空を通過して爆撃を行い、その後は右旋回して太平洋側へ離脱したことが記録されています。
芝原用水沿いから丸山方面へ避難していた方が南から北へ進むB-29を見上げたという証言は、この飛行経路ともよく一致しています。
歴史の資料と、一人の方の記憶が重なった瞬間でした。
■ 勝山から見えた「赤い空」
もう一人、96歳の方は、当時中学2年生でした。
勝山市比島から福井市方面の空が真っ赤に染まっていたことを今でも忘れられないそうです。
福井市では約2万戸が焼失し、市街地の大半が炎に包まれました。
その炎は、福井市だけでなく、離れた勝山からも見えるほど大きなものだったのです。
「空が赤かった。」
その一言だけで、当時の惨状が伝わってきました。
■ 歴史は、本ではなく人が語り継ぐもの
福井空襲から81年。
当時を知る方は、年々少なくなっています。
歴史の資料を読むことも大切ですが、実際にその場にいた方の言葉には、資料だけでは伝わらない重みがあります。
「あのとき見た空。」
「あのとき感じた恐怖。」
それは体験した人だけが語ることのできる歴史です。
■ 記憶を次の世代へ
戦争を経験された方のお話を直接聞けることは、決して当たり前ではありません。
私たちは、その貴重な証言を受け継ぎ、次の世代へ伝えていく責任があります。
81年前の出来事を忘れず、平和の尊さに思いを巡らせる一日にしたいと思います。
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ホーム>政党・政治家>大谷 たかまさ (オオタニ タカマサ)>81年前の福井空襲。その空を見上げた人たちの記憶