2026/4/12
【足立区】済州。
ソウル市内にある金浦国際空港から済州国際空港まで約75分のフライト✈️、済州島へ移動しました。
国立済州大学にある「在日済州人センター」へ伺い、李昌益(イチャンイク)済州大学校名誉教授の「在日済州人の渡航の歴史や研究について」をテーマに講義を受けてきました。
足立区には約7,000人の在日韓国人が住まわれております。※R7年7月1日時点
特に済州(チェジュ)出身・ルーツをもつ方が足立区・荒川区に多いとも云われております。
1910年代、当時の済州島は作物が育ちにくい火山灰由来の土壌、気候風土の影響などにより生活が苦しい事情がありました。
第一次世界大戦によって労働力の需要が増えた日本は、済州へ職工募集人を派遣して、自発的な出稼ぎを求めたとあります。
1923年には、済州島から大阪まで定期航路が開設され、「君が代丸(きみがよまる)」という船に乗り、終着港である大阪(東成、西成、生野)に多くの済州の方が渡りました。
生野区(いくのく)にある鶴橋に多くの済州出身の方が今もいらっしゃる理由に合点がゆきます。
大阪から全国各地へ、そして東京の足立・荒川に渡った経緯があります。
家族や親戚、縁故を辿り、どんどん増え、1934年には済州島人口20万人の内の約25%・5万人余りの人達が日本へ渡っていた記録も残っています。
1945年に第二次世界大戦が終結し、南北が分断。
1948年4月3日に起きた「4・3事件。」
タブーとされてきた歴史として、済州の人達も語りたくないと云う凄惨な事件が起こりました。
数万人の島民が殺害された4・3事件を前後に、約5,000人〜10,000人の島民が日本へ避難した経緯などについて説明を受けました。
日韓親善協会の中にも済州出身の方が多く、普段は語られない生々しい実体験や親戚や仲間についての話を聴くことが出来ました。
何気なく普段触れているK-POPや韓国コスメ、食や文化は、今や日本には溢れております。
私の周りにも、韓国にルーツをもつ友人がおります。
多様なルーツを持つ方々の生きてきた背景や大切にしていることを慮れるようにならなければ。
と考えさせられた視察となりました。
韓国🇰🇷ソウル市や済州には、日本と同じ様に、綺麗な桜🌸が咲いておりました。








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