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千葉 さきえ ブログ

「3月14日ようやく入れた地下豪の中は煮えてしまっていた。

2026/3/26

「3月14日ようやく入れた地下豪の中は煮えてしまっていた。」

3月9日から10日にかけてアメリカからの爆撃を受け、たった2時間半で下町は焼き尽くされ、10万人以上が亡くなっている「東京大空襲」

当時13歳、14歳だったお二人の女性からお話を聞くことができた。

星野さんーーー当時14歳
錦糸公園で一夜を過ごした
一角に野外の音楽堂があって小さな布団を引いて
家の様子を見に行った叔父が言っていた、焼け野原の意味がわからなかった
錦糸町から上野まで一望できた
遮るものがなかった
防空壕の中で蒸し焼きになってしまった家族もいた
熱くても外も火の海で出られない。どんな思いだったのか
酸欠で気を失ってから、焼けてしまうのではないかということだった

姉が茨城に嫁いでいたところに身を寄せた
嫁ぎ先の木材屋さんで私も仕事をさせてもらっていた
8月15日 ラジオで何を言っているのかあまり聞き取れなかったが
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」というところは聞き取れた。
どうやら日本が負けたということを知った。
残念で暗い気持ちで家に帰ったら、姉が「やっと終わった。よかったね。」と喜んでいた。
なぜ喜んでいるのか理解ができなかった
大人になってようやく分かった。
あの時、姉に対して何も反応できなかったことを後悔している。

しばらくして、東京に戻った
ご飯お米の代わりに脱脂大豆で電極パン(※)をつくった
(※木箱の中に鉄板があるパン焼き器)
美味しくなくて苦手だった
戦後は本当にものがなくて配給の量も身分、位によって違う
お金があれば闇で色々と手に入った

おふろ屋さんでは服が取られないように縛っていたが
取られてしまう事もあった
番台さんが家まで服を取りに行ってくれた
石鹸が貴重だったので、持ったままお風呂の中に入った
食べるもの着るものもなく必死

戦争は兵隊がドンパチ戦うだけじゃなく庶民の暮らし生活を壊す
戦争には正義の理由はない

「贅沢は敵だ」ステッカーがあって、敵の前に(素)を書いて
「贅沢は(素)敵だ」とささやかな抵抗をしている人もいた

夫は12歳で遺体を川から引き上げる仕事をやらされた。
たった12歳。
母子の遺体。子どもがお母さんの髪を両手で掴んでいる。
母子共に目が開いていたのでびっくりして落としてしまったら憲兵に怒鳴られた。
その母子の姿が度々夢に出てくると、亡くなる時まで言っていた。

今江東区や墨田区でやっている、東京大空襲被害者の読み上げをやったことがある
亡くなった一歳や三歳の小さな子どももたくさんいる
一緒にいたお母さんが「もうダメだ」と思ったその最後の瞬間の気持ちを考えると本当にいたたまれない。

亀谷さんーーー当時13歳
1920年3月3日4日に雪が降った
雪が好きだったので喜んだ。
とても寒い冬だった
白河町の避難場所 
末広味噌 お味噌屋さんは数少ないコンクリートの建物で地下が豪になっていた
3月9日の夜はこれまでより大きな空襲が来るからと
母は早く用意をしてお味噌屋さんに行くことを急かしたが
私は眠くて動けなかった。母と姉、妹弟は先に避難しに行った。
私は呑気に家で寝ていた。
空襲
父とお味噌屋さんに向かったが人がいっぱいだった
憲兵に止められたが、こんなところに居れないと、父と外に出た
外は火の海

風が強くて走りながら飛ばされてしまった
父は小名木川に飛び込んだ 私も後を追いかける
関東大震災の時に屋根の瓦が飛んで危なかったから、屋根は瓦ではなくトタン板になっていた。
飛んできたトタン板を被り火の粉を防いで川の中を進んだ
それでも服が燃え、父は必死に払ってくれていた
途中で死んでしまうと覚悟した

父の勤め先のコンクリート工場に辿り着き、一角で麻袋を被って一夜を過ごした。

翌朝、煙で目が開かなかった
目を瞑りながら歩いていると何かに躓いたと思って見ると遺体だった。
何度も躓きながら歩いた。
お味噌屋さんに行くと一階は燃え切っていた
先に避難した母妹たちは見つからなかった

深川の避難先が渋谷だったから、電車が動いているだろうと、日本橋まで歩いた。
下町は焼け尽くされたが、渋谷は普段通り変わらなかった。

新宿の親戚の家にたどり着いた
従兄弟たちには臭い臭いと言って払われた
死臭がまとわりついていたのだろう
叔母がお風呂屋さんに連れて行って洗ってくれた

3/14にようやく地下に入ることができた
10分間だけと許された
必死に探した
母たちが見つかった、小さい弟、妹は母と一緒にいた
着ていたもので分かったが頭や手足がなくなっていた。
姉とすぐ下の妹は見つからなかった
きっと地下壕から出て焼けてしまった
失語症になった
予科練に行った兄 3月末に帰ってきてとても嬉しくて失語症が治った(その兄も6月の空襲で亡くなった)
兵隊に憧れた時代だった
15歳の兄は予科練に参加することを志願したが、両親は必死にとめて家から出ないようにしていた。
兄から志願書を買ってくるように言われて、こっそり渡し、ポストに入れに行ったのも私だ。
その時はとても誇らしい気持ちだった。
私が家族を殺したようなものだ

被害者になるだけではなく、加害者にもなる

戦時中より、戦後の方がひもじい思いをした

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体験者の声を聞くことができるのは、今生きている私たちだけだ。
語られたことで、ここに書くことを憚られる表現もあった。

今、まさに世界では戦争が起きている。
どんな理由があってもそれを正当化することはできない。

戦争反対!と言えば、お花畑だという人がいる。
早く戦争止めてこいよ。という人がいる。

平和を望むと分断が起きる
この状況を変えていきたい。

#戦争反対

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著者

千葉 さきえ

千葉 さきえ

選挙 江東区議会議員選挙 (2027/04/30) - 票
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肩書 前江東区議会議員/東京都政策委員
党派・会派 無所属
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