横田 たつひさ

ヨコタ タツヒサ/50歳/男

横田 たつひさ

「三陸やまだのペッパーミル!」 ※愛称が同じたっちゃん(ヌートバー)選手のように、小さなことからコツコツと継続し、身を粉にして山田町の皆様にたくさんの良い事を起こすよう頑張り続けます。

肩書 山田町議会産業建設民生常任委員、山田町議会広報編集特別委員、山田幼稚園理事兼評議員、飯岡地区住民自治会総務部長、山田町消防団第六分団団員、山田町柔道協会審判員、山田町バレーボール協会審判部長、山田町相撲協会顧問、元サッカー4級審判員
党派 無所属
サイト

横田たつひさ 最新活動記録

ブログ

横田たつひさ プロフィール・略歴

パーソナルデータ

生年月日 1976年03月21日
年齢 50歳
星座 おひつじ座
出身地 岩手県下閉伊郡山田町長崎
好きな食べ物 カレー、ラーメン、焼き肉、寿司(魚河岸さんがご近所になった事もあり魚河岸さんが多いです。)、から揚げ、蕎麦(白石ごっとん会さんになかなか行けないでおります)、うどん
好きな本、漫画、雑誌  学生時代に色々読みましたが、沢木耕太郎さんの深夜特急が一番面白かったです。  論語読みの論語知らず山田町代表を自負しております。  自己啓発系の本を結構読みましたが、自らを省みると身に付いていない気しかしません。  漫画は貧乏性なので楽しみながらも為になる漫画が好きです。  例えばゴルゴ13を読むと地理と世界史が理解しやすくなります。  実は少女漫画の名作をそこそこ読んでます。というのも国語の読解力を鍛えるのに役立つからです。  5年に1度のペースで自分のパソコンを自分で組み立てるのでパソコン系の雑誌と科学技術の発展を垣間見るためガジェット系の雑誌をたまに読みます。

略歴

  • 後半にあまり略してない歴も載せてあります。時間のある時にお読み頂ければ幸いです。

    ここから略歴です。

    昭和51年3月21日 岩手県下閉伊郡山田町長崎生まれ

    昭和 57年 4月 山田町立山田南小学校入学(初代1年生)

    昭和 63年 3月 山田町立山田南小学校卒業

    平成 3年  3月 山田町立山田中学校卒業 

    平成 6年  3月 岩手県立宮古高等学校卒業(応援団長)

    平成 10年 9月 国立埼玉大学卒業

    平成 12年 4月 山田町役場に入職

    平成 30年 3月 山田町役場を退職

    令和 元年 9月 山田町議会議員選挙にて初当選

    ここまでが略歴です。


    ここからはあまり略していない歴となります。

    昭和51年3月21日 岩手県下閉伊郡山田町長崎生まれ

    昭和 57年 4月 山田町立山田南小学校入学(初代1年生)

    昭和 63年 3月 山田町立山田南小学校卒業

    平成 3年  3月 山田町立山田中学校卒業 
     同級生の親御さんと話ながら思い出したのですが、私の人生初の政治活動は中学3年生の時です。新たに赴任した校長先生が「3年生の受験勉強のため、山中オリンピアを2日から1日に短縮する。」と宣言。それに対して「生徒会長!抗議に行くぞ!ついて来い!」と校長室に抗議に行った事です。その結果折衷案で1日半となりました。
     私の学年は野球部が県大会で初優勝した学年なのですが、卒業式後の謝恩会で「ピッチャーの満弘君も素晴らしい生徒ですが、そちらの龍寿君も素晴らしい生徒ですよ。実はこういう事がありましてね。」と校長先生から言われたと母親がビックリして帰って来ました。

    平成 6年  3月 岩手県立宮古高等学校卒業(応援団長)
     同級生に誘われた事もあり「阪神甲子園球場で和太鼓を叩きたい。」そう思って応援団に入りました。
     それがすぐさま春の選抜に選ばれ「え?こんなに簡単に叶っていいの?」と喜んだのも束の間「阪神甲子園球場では和太鼓は禁止されています。吹奏楽部のパーカッションを借ります。」となり、夢が叶ったと同時に夢破れ、落胆しました。当時の選抜のVTRを見ると私は終始太鼓、いやパーカッションを叩きながら不貞腐れた顔でどこかを睨んでいます。
     さらに応援団顧問の母校早稲田大学応援部指導のもと新たな野球応援形態(リード)が導入されたため、私の興味はすっかりそちらに移りました。そこで役割の転換を先輩に訴えた所「ダメだ。だが団長になれば流石に太鼓叩くわけにもいかない。だがお前が今から団長になってやっていけるとでも?」と。
     元々は幼馴染を次の団長にと私を含む同級生の中で合意形成がなされていましたが、彼にも色々事情があり、結局私が団長になる事になりました。いわゆる棚からぼたもちです。けど安心して下さい。幼馴染の彼は後に大学応援指導部の主将(団長)になりましたから。

    平成 7年 2月 手かざさし教なのか統一教会なのか良く分からない一貫性がなく不信感しか持てない大学非公認宗教サークル「日本印度化計画」が大学内を跋扈する。後に先輩に聞いたところオウム真理教が他の宗教にカムフラージュしていたとの事。自分も勧誘された事があるので恐怖に震えました。カルトに騙されないようにと宗教学の本を数冊読んで理論武装しました。

    平成 9年 2月 旧ユーゴスラビア(ボスニア・ヘルツェゴビナ)紛争停戦ボランティアに行こうと両親に説明したら「お前が高校生の時に留学に猛反対したのは日本より安全な国は無いからだ。お前は学習能力が無い馬鹿なのか?」と一時仕送りを止められ後期の学費が滞りかけ、あわや退学の危機に。

    平成 10年 9月 国立埼玉大学卒業(一年次に他の国立大学を再受験した事もあり半年遅れで卒業)

    平成 12年 2月 「世の中の役に立つ人になれますように」との願掛けで四国八十八ヶ所巡礼結願
     長谷寺というお寺に行こうとロープウェイに乗っていた時、同乗している方に400回以上周回したというレジェンドが居ました。その後その方がテレビで紹介され、録画し「前に言ってたレジェンドが特集されてるよ。」と家族に自慢げに見せました。まさかその人が実は殺人未遂で指名手配されていたとはつゆ知らず。その番組がきっかけでその人は逮捕されました。事実は小説より奇なりとはまさにこのことです。

    平成 12年 4月 山田町役場入職(父親から「お前に郷土愛があるなら役場に入って山田町の為に頑張るべきだ。」と約1年間説得され受験)

    平成 13年 1月 山田町職員組合執行委員に就任(「職員の所得を安定させ、職員には出来るだけ地元で消費してもらう」が私のテーマ)

    平成 23年 12月 山田町職員組合執行委員を退任
    (岩手県の青年部長から過大に評価され、岩手県の青年部長と全国の青年部長となる事が内定。詳細は伏せますが残念な人間にだまし討ちをされ実現せず。当時は議会議員選挙に出馬する事など全く考えていなかったので、ずっとはらわたが煮えくり返っておりましたが、今となっては下記のとおり結果オーライだと考えております。
     その後災害の見舞いで来町した全国組織の幹部が初対面の人間に肩書でマウントを取る残念な人間だったため「肩書しか見えない残念な人間が全国の幹部やるような残念な組織なんだなぁ。」と呆れかえり、そもそも根は保守的な人間なので退任。
    「過度に結果の平等を求めると肩書でしか人を評価出来なくなる事があの思想の弱点では?」という自分の中で立てていた仮説が正しいと証明されました。)

    平成 30年 3月 復興工事から野菜園芸に雇用をシフトして町内の雇用、景気を維持出来るのではないか(心の声:さらに言えば頑張って上手くやれば役場職員よりも高収入になれるのではないか)と企み山田町役場を退職

    令和 元年 9月 山田町議会議員選挙にて父母自分を除き490名の方のふんどし(お力)を借り初当選いたしました。
     よくよく考えれば約15年前に労働組合の全国組織の青年部長になっていれば、無所属での出馬、もしかしたら出馬そのものを断念していたかもしれません。
     私の座右の銘「禍福はあざなえる縄のごとし」を自ら体現しました。

    ※禍福はあざなえる縄のごとし 《「史記」南越伝から》幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるということ。

議員を志したきっかけ

前々回及び前回の町議会議員選挙の際に家族でお世話になっている方から「あなたは役場職員より議員の方が向いている。あなたがやりたいと思っている町興しの手段として議員という立場を利用して、あなたも町民も幸せにして欲しい。」と説得され立候補を決意しました。

横田たつひさ 活動実績

私横田たつひさが1期4年間で町に提案し、実現したものの中から主だったものを3つ、下記に挙げます。

0~2歳児の保育料の無償化実現のアシストをしました。
 私は山田幼稚園の理事であり、0~2歳児保育料無償化は3歳以降も2歳まで通った保育園へ、という流れで幼稚園へ入園する児童が減少する原因となる危険性を感じてはいましたが、自分の所属している園の事だけを考えるわけにはいかないと思い一般質問しました。無償化をしているのが周辺で宮古市だけだったら私の考えも変わっていたかもしれません。
 この件は私が議員になる前に先輩議員が訴え続けていたのですが、宮古市と大槌町が全部無償だからといって山田町も無償にするのは山田町としての独自性を考えるとどうなのかと町当局が迷っていたものと推測されます。
 そこに(配偶者も子供もいないけれど)子育て世代の私がアシストした形です。
 先輩議員の努力に対し、若いただそれだけでアシストが出来、物事を前に進める事が出来たと若い議員としての自分の存在意義を実感し、自信にも繋がりました。

やまだ飲食店エールチケットの継続、特にも第3弾に尽力しました。
 答弁を見ると町当局は「いつまで続ければよいのか」と迷い躊躇していたところがあったように思われます。
 山田町は飲食店が多く、その事が山田町の活気に繋がっているという信念、そして消費者よりもむしろ飲食店経営者の皆様にとっては、外に出る、外食する、という習慣そのものがなくなる事はまさに死活問題であるとの信念から町当局に提案し続けました。
 結果として第3弾は完売とはなりませんでしたが、微力ではございますが、地域経済の持続に貢献できたと考えております。

スケートパークの整備(計画策定予算確保)に尽力しました。
 山田町に今は無いけれど、山田町にもあったらいいなの代表格がスケートパークだと考えております。
 私の一般質問での提案と高校生議会での提案とのコラボレーションにより、ついに令和5年度当初予算に整備計画策定のための予算が計上されました。
 スケートパークを町内の活気、青少年の健全育成、誘客へと繋げるよう、競技関係団体、用品メーカー等と連携して町民皆が「儲ける」施設とする計画が策定されるよう切に願っております。

と挙げて来ましたが、私は他の議員との連携、表には出て来ませんが、議員の多数がその考えに賛同しその事を望んでいるという空気の醸成も不可欠なのではないかと感じております。
 というのも私は嘘が付けないので正直に申しますが、一般質問がまだまだ下手です。
 それでも提案が一定数採用されるのは、上手く言えませんが議会の中の空気が自分に味方してくれている、町当局も「横田君は一番歳が若い議員だから、、、」と忖度してくれている、どうしてもこのあたりを推測してしまうのです。
 これからも一般質問が少しずつでも上手になり、町当局に対し皆様と一緒に儲かる提案をするよう努めますので、今後もご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

横田たつひさ 政策・メッセージ

政策メッセージ

政策や政治家としての目標は常に周りの環境により変化して行きますが、変わらないであろう考えは
「日本は資本主義陣営に属しているので、儲ける事を考えなければ嘘。」
「出来れば自分もみんなも共に儲けたい。」
「経済的な面だけでなく心理的、内面の部分でも常にみんなで儲けたい。」
というのが根底にあります。

 私はマニフェストというものがあまり好きではありません。というのも町議会議員であれば任期は4年間ですが、この期間にとらわれていては遠い将来を見据えたものの考え方や活動が出来なくなると考えるからです。

現時点での山田町議会議員としての目標は主に下記に掲げる「よこた11策(よこたイレブン)」のとおりです。

1.町民、役場、議会の間の壁を壊し、溝を埋める。
 この右肩下がりの世の中において立場の違いによる対立はマイナスでしかありません。立場を越えた真の協働の実現を目指します。

2.若年層、中年層、高齢層の世代間の壁を壊し、溝を埋める。
 右肩下がりの中、世代間の対立もマイナスです。
 これからの山田町を我々中年層と若年層に任せて下さい。
 さらに我がままを申しますが、あわせて我々中年層、若年層を後見して下さい。
 どうかよろしくお願いします。

3.主に園芸作物の推進による農業の推進
 新型コロナ下により精力的に動く事が出来ませんでしたが、新型コロナがようやく一段落しましたので、山田町の園芸をバックアップし、町民の皆様の農業所得の向上を目指します。

4.育てる漁業の推進
 山田町に合った魚種等隠れた宝を見つけ出し、育てる漁業を推進し、町民の皆様の漁業所得の向上を目指します。

5.農林水産業の連携
 山田町の農林業と漁業が将来的に時には競い合い、時には協力し商売をする、そのような関係性が築かれるよう努めます。

6.山田町消防団の維持、発展
 誰がなんと言おうと山田町の防災の要は「山田町消防団」です。近年全国的に消防団の人手不足が問題となっており、山田町消防団も例外ではありません。
 山田町の防災の要を維持、発展させる方策を町に提案し、実現するよう努めます。

7.電気の自給自足化と環境ビジネスの推進
 自然エネルギーからある程度の電気を自給自足し、あわせて災害に強い町づくりを目指します。
 まず通常時にいわゆる再エネ賦課金分について町民の皆様の負担を減らす仕組みの構築を目指します。
 山田町は環境問題で自粛する側などではなく、むしろ積極的に環境問題を解決できるキーパーソンになり得る存在だと考えております。
 環境問題の解決を町民皆の所得向上に繋げるにはどのようにすれば良いか皆様とともに考えて行きたいと考えております。
 よろしくお願いいたします。

8.農林水産省の移転誘致(特に水産庁)
 今年の3月末から文化庁が京都市に移転しました。日本文化と言えば京都市です。
 水産と言えば北海道ですが、北海道は本州と陸続きではありません。
 そして北海道の次はここ三陸だと私は考えています。
 以前より私が何とかの一つ覚えのように申しておりますが、自動車専用道無料区間ハーフインターのフルインター化は当町が全国初です。不可能だったことが可能となったのです。この流れに乗りたいと思います。

9.医科大学もしくは岩手医科大学の分校の誘致(周産期医療と高齢者医療の二本立て)
 私が物心ついた頃にはもう岩手県、特にも沿岸地域の医師不足が叫ばれていました。
 私は医師不足解消の抜本的な解決手段として医科大学若しくは岩手医科大学の分校の誘致を目指します。
 そして岩手県立山田高等学校を上記医大の授業を先取りして受講、医大進学時の単位として認定するSSH(スーパーサイエンスハイスクール)指定校とする事を目指します。
 将来的には幼老複合化施設の整備による幼老交流を活用し就学前児童の情操教育の充実を目指します。
 副産物として人口の増加、アパートの空き部屋の解消もあわせて目指します。
 また山田町は開業医院数が周辺市町村より少ないとよく言われます。
 私はこちらも問題であると考えております。
 具体的な方策はまだ浮かびませんが、まずは発想の転換が必要だと感じております。
 私自身は開業医院は町内の雇用にも繋がっておりますので「誘致企業」だと考えております。
 「我々町、町民は持続可能な経営をバックアップします。先生方は志だけ持って来て下さい。」このスタンスはいかがですか?
 もちろんこれから来る医師、歯科医師の方だけではなく現在町内に根を張って頂いている医師、歯科医師の方々にも同様のスタンスはいかがですか。なお調剤薬局(薬剤師)は医院数が増えないと増やしようがないと私は考えておりますので省略させていただきます。

※幼老複合施設は、保育園とグループホームなど児童向け施設と高齢者向け施設が一体となりサービスを提供する施設

※ 幼老交流 子どもにとっては高齢者をいたわる気持ちが育まれ、思いやりやマナーが身につき、 高齢者にとっては子どもと触れ合うことで活力が生まれるなどのメリットがある。

10.船越半島へのさくら並木整備及びラリーレースの誘致
 ある国内自動車メーカーとある宮城県の自治体が共同で東北でラリーレースをと活動しており、一緒に開催する自治体を探しています。
 私は風光明媚なザ・リアス海岸である船越半島、特にも大浦街道にさくら並木を整備し、さらにはそこから外山地区までをコースとしてラリーレースの誘致を目指します。

11.外山地区から遠野市への直通道路の整備
 現状のままだと千島海溝・日本海溝周辺海溝型地震が発生した場合に他市町村の支援は直で山田町に来られません。
 福士地区から宮古市に繋がる道がありますが、間違いなく宮古市も同時に被災するでしょう。つまり宮古市として山田町への対応は二の次にせざるを得なくなるでしょう。
 また沿岸地域の災害に対し後方支援する事が遠野市にとって最も重要な個性、持ち味の一つだと遠野市民の方々は考えているのではないかと私は考えております。
 これらの事を踏まえ今後の津波災害に備えるため、遠野市、大槌町はじめ周辺市町村と協力し、この道路の整備を目指します。

ホーム政党・政治家横田たつひさ (ヨコタタツヒサ )

icon_arrow_b_whiteicon_arrow_r_whiteicon_arrow_t_whiteicon_calender_grayicon_email_blueicon_fbicon_fb_whiteicon_googleicon_google_whiteicon_homeicon_homepageicon_lineicon_loginicon_login2icon_password_blueicon_posticon_rankingicon_searchicon_searchicon_searchicon_searchicon_staricon_twitter_whiteicon_youtubeicon_postcode