2026/2/18
下記の文章は、私の大学生インターンの
記録になります。
少し時間たちましたが、1月28日の熊本のご報告となります。
未だ越えられぬ、あつい壁
熊本地裁、1月28日14時。
門前で私たち支援者が見守る中、建物から出てきた弁護士達は険しい顔をしてカメラの前に立ち、
「憲法的再審事由を認めず」
「不当決定」
の旗を掲げました。
今回で4度目となる再審請求は、またもや退けられました。
私たちは前日から熊本入りし熊本地裁の決定まで見守ったので、その足取りを振り返りながら、私自身が思うことも書き記します。
まず、前提となる菊池事件についてですが、これもまた書き記すと長くなってしまうので簡単にまとめます。
1952年7月、熊本県で発生した殺人事件について、ハンセン病と診断されたFさんが被告人とされました。
無実の訴えにもかかわらずFさんには死刑判決が下され、1962年9月、刑は執行されてしまいました。
裁判が、療養所内の「隔離法廷」で行われたこと、また証拠が虚偽捏造の疑いがあることから、ハンセン病に対する差別が生み出した冤罪事件であるとして、Fさんが亡くなられた後も、再審請求、国賠訴訟が行われました。(再審請求は現在進行中)
詳しくはこちら:https://www.keifuen-history-museum.jp/kikuchi-jiken.html(菊池恵楓園)
1/27、前夜集会が市内で行われました。
全国各地から集まった支援者を前に、弁護団代表の徳田弁護士、全原協の竪山会長がお話しされました。
私が思っていたよりテレビカメラの取材が入っており、マスコミの関心も高いのだと、そこで感じました。
私自身も、徳田弁護士と少しお話しすることができ、また熊本大学法学部の岡田教授ともお会いできました。
やはり法曹に携わる人からしてみれば、判決はおかしいというのが明白なのです。
ただ、会場にいて感じたのは、私のような年齢が若い人が本当にいない、ということです。
これからどのようにして活動を引き継いでいくのか。そういったことも考えさせられました。
前夜集会が終わった後、私たちは菊池恵楓園に向かい、面会者宿泊所で1泊しました。
全原協の竪山さんと、食堂で夕食をとりながらお話ししました。
1/28の朝となり、私たちが仲良くさせていただいている、入所者のご夫婦のお家で朝ごはんをいただきました。
お母さんがつくるおでんが、これまた絶品なんです。
ご飯もお言葉に甘えておかわりしました。笑
朝食後、私たちは、竪山さん、また菊池恵楓園自治会会長代行の太田さんの取材に同行しました。
園内にある納骨堂でお参り、またメモリアルパークにも向かいました。
記憶に新しい2016年の熊本地震により、療養所も大きな被害を受けました。納骨堂でもお骨が一部散乱してしまったのですが、全て骨壷に戻したそうです。
一連の取材が終わった後、熊本地裁に向かい、決定を待つことになりました。
13時頃から、ぞくぞくとカメラが門の前に集まってきて、13時30分から最後の門前集会がスタートしました。
13時45分、弁護団が隊列を組んで、建物の中に入り、裁判所側からの決定書を受け取りに行き、約20分後、冒頭の通り支援者・カメラの前で再審却下が示されました。
やはり、壁はあつかった。
この言葉は、同行してくださった女性が口に出した一言です。
「壁はあつい」とは、菊池事件を描いた映画「新・あつい壁」のタイトルを引用したものです。
私自身、決定の前日からたくさんの人のお話を聞き、なんとなく「ああ、明日は再審請求が認められるのではないのか。」という淡い期待がありましたが、その期待が叶うことはありませんでした。
裁判所の決定文では、存在しない「憲法39条3項」が存在するなど、お粗末なものと言わざるを得ません(参照:朝日新聞 https://www.asahi.com/articles/ASV1Z1Q64V1ZTLVB001M.html)
徳田弁護士をはじめとする代表団はすぐさま即時抗告し、次の審理は福岡高裁で行われます。
ここからは少し、私が思うことを書き記します。
一口に、ハンセン病元患者、支援者といっても様々な人がいる。ハンセン病問題の複雑さ、難解さ、はここに尽きると思います。
ハンセン病の元患者の方でも、声をあげて国と戦う、という人もいれば、事を大きくしないでくれ、私たちは静かに過ごしたい、という人もいます。
支援者の方でも、自身の信教からサポートをする人もいれば、人権という観点から戦う人、いろんな方がいらっしゃいます。(もちろん全て正しい行動だと思います。)
一人一人に、ハンセン病問題の「正義」がある。ただ、その正義が交錯する場面があると言わざるを得ません。
療養所内の人間関係も、簡単なものではありません。
どうしても閉鎖的になりがちなコミュニティーの中で、ある人のやり方をよく思わない人がいるのも事実です。
では、私たちはどうすればいいのか。
それは、ハンセン病問題の解決の手段は、1つ、2つだけではなく、沢山あることを自覚することだと、私は今の所考えています。
もちろん、当事者の方に共感することは必要です。
しかし、単なる同情で終わってはいけません。それは、元患者に対する失礼でもあります。「悲しんであげているんだぞ」になってしまいますから。
まずは、なぜこのような問題が起こったのか。なぜまだ解決しないのか、の構造的な理解をするべきです。(私もまだまだ勉強している最中です。)
その点で、実際に療養所に足を運ぶことはとても重要です。
どれだけネット記事や本をよんでも、療養所の空気感、人々の営みは分かりません。
1つの視点に固執するよりも、様々な視点を知る、時には真逆の意見を持つ人の話を聞くことが大切だと感じました。
Aという考えvsBという考えという争いがあるのなら、お互いいいとこ取りをして、Cという考えを生み出す、このようなやり方もあって良いのではと思っております。
まだまだ勉強することが多いと感じた2日間でした。
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ホーム>政党・政治家>石渡 ゆきこ (イシワタリ ユキコ)>下記の文章は、私の大学生インターンの記録になります。