2026/6/29

小泉今日子さんに対して、左翼だとかなんだかんだの批判があり、その中には「歌手が政治的な発言はするな」という意見がある。「歌に政治を持ち込むなとか」いう意見もある。「エンターテインメントに政治を持ち込むな」というのもある。
そもそも、歌は、訴えるという意味がある。明治に生まれた演歌は演説の別表現として生まれたものだった。
作家は、自分の文学を通じて政治を描いてきた。それは一定、社会にも受け入れられてきた。政治を正面から語り尽くした松本清張のような作家もいたし、現在も、繰り返し政治にコミットメントしている作家はいる。
今から10年前。安保法正反対のときに、国民は自分の意思で国会前に集まり、安保法制反対を唱え、「野党は共闘」を求めた。この呼びかけに応えたのは日本共産党だった。日本共産党は、保守的だとされていた野党に手を差し出し、国民の「野党は共闘」という声に応えて、力を合わせようと訴えた。この中心にあったのは、憲法第13条だった。個人の尊厳の尊重。相手への心の底からのリスペクト。この精神の中からジェンダー平等にも光が当てられた。
この運動が、今、10年の沈黙を経て新しい力を得ようとしている。日本国憲法を守るたたかいは、国民全体のたたかいへと羽を伸ばす必要がある。このときに、民衆の見方であったはずの芸人の中に、体制を擁護し、野党を批判する御用芸人が生まれている。お笑いの力を借りて芸人を用いるのは誤用だといいたい気持ちもある。
しかし、こういう流れに抗して、俳優や歌手の中から、政治にコミットメントする人が生まれつつある。私たち民衆は、こういう人たちの勇気ある発言や態度に共鳴し、ともに手を携える必要がある。
日本国憲法を守るたたかいは、政治、経済、文化、芸術などありとあらゆる分野の人々を巻き込む必要がある。この中から新しいたたかいの「歌」が生み出されるべきだと考える。たたかいの中で高らかに歌われる歌が生まれたら、たたかっている人々は、どれほど勇気を与えられるであろうか。
本来、エンターテインメントは、自由に、自分の言葉で政治を語る存在なのだと思う。それは本能の叫びでもある。政治から切り離され、恋愛などの狭い枠組みの中に押し込められていた「歌」が、本来の「訴える」という基本を再生させ、歌を自由に歌う時代を切り開くべきときに来ている。
生活の場から、自由に歌を歌おう、演劇をしよう、絵を描こう。そう、ピカソが「ゲルニカ」を描いたように。
「エンターテインメントよ。自分の言葉で政治を語れ」
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